私の心の白い犬

イメージ写真

ある夜のことでした。

ソファにぐったり座ったあなたが、ふと窓の外に目をやると、電柱の下に小さな白い犬がちょこんと座っていました。
「あんな小さな犬がこんな真夜中に外にいるのだろうか、見間違いかもしれない」

そう思ってぎゅっと目をつむって、もう一度外をみたら、もう犬の姿はありませんでした。あなたは家人に言いました。
「今、外に犬がいなかったか? 小さい室内犬みたいな白い犬が見えたんだ」

家人はそれぞれ答えました。
「どうせ風で飛んできたビニール袋か何かでしょ」
「疲れているんだよ、もう寝た方がいいよ」

あなたも、そうか、そうだよな、もう疲れたから今日は寝よう、と思いました。

実は本当にそこに白い犬はいたのです。
でも、あなたと家人に「ただの見間違い」で「いなかった」と結論付けされました。
さて、誰にもいたことを認められなかった犬は「いた」のでしょうか?「いなかった」のでしょうか?

「そんな哲学的に言われても、そんなの防犯カメラに写っているかどうか見れば一発でわかるじゃん」と言われてしまえばその通り。
でもこれ、こと病気や障害では「よくあること」なのです。

いきなり自分語りをさせてもらうと、私は「家族性地中海熱」という病にかかっています。
家族性という割に、家族が同じ病にかかっているという訳ではないですし、別に地中海にも行ったことはありません。

難病情報センター曰く、典型的な症状が出ている日本の患者は約300人。
私はちょっとイレギュラーな症状が出ている非典型例なので、私のような人間を含めるのであれば多分もう少し多いのかもしれませんが、それなりに珍しいのは確かでしょう。

珍しい、ということは、お医者さんも実際に患者を診たことがないということです。
もしかしたら、今までに「ただの虚弱」と診断した患者さんの中にも私と同じ病気の人がいたかもしれません。いなかった可能性の方が高いかも知れませんが。

…と皮肉をチクリと書いてしまう程度には、病名がつくまでが長かったのです。
熱でウンウン唸って病院にかかるたびに「体を鍛えろ、運動不足だ」「気持ちの問題、怠け者」「熱を出す体質だからしょうがない」と言わ続けて、扁桃腺を引っこ抜き、ついでに親知らずも全部引っこ抜いても変わらず、30代になってからようやっと。

だからと言って、今までかかったお医者さんを恨んでいるのか、といわれるとそうでもなくて。…いや、2回だけ恨んでいることがありました。

1回目はよく分からないけど高熱だから、と入院して「あなた、元気そうだから、お隣のおばあちゃんの面倒を見てあげてね」と看護師さんに言われたとき。解熱剤を点滴している状態でも毎日39℃出ていて、おまけに絶食生活1ヶ月過ぎるところだったのですが…

2回目は紹介状を持って、ある大学病院のテレビにもよく出ている権威のセンセイにかかった時に「君みたいな軽症者を診ている暇はないんだよ」と鼻で笑われたとき。

それ以外にも病名確定までに、あちこち病院にかかって、あれこれ薬を試して、ドタバタしているうちにいつの間にか年を取ってしまった訳ですが、「まあこれだけ珍しい病気ならお医者さんも知らなくてもしょうがないよな、病気なんて星の数ほどあるんだから」と、ずっと見つけてもらえなかった自分の中の白い犬がスンッと納得したものです。

私のような病でなくても、たとえばASD。たとえばADHD。
今でこそ認知されつつある発達障害は、昔は「分からず屋」「強情っぱり」「暴れん坊」とただただ頭ごなしに怒られて、避けられ、嫌な思いをして。

大人になってから「そういう病があるのか、もしかして」と病院にかかって初めて診断された、という方も多いのではないでしょうか。

だから、もし。
子どもが「ここに白い犬がいるんだよ」「今とても苦しいんだよ」と言ったなら。

本当にそれは犬ではなくて、ただのビニール袋で、本当に病気や障害はなくて、「なぁんだ」ってなるだけかもしれないけれど。

苦しみ続けた自分を肯定する意味でも、できるだけ寄り添ってあげたいな、そうできるといいな、と理想論かも知れませんが、そう思うのです。

(担当:まつ)