「ごんぎつね」を読んだ、知っている、という方は多いと思う。
身も蓋もなく書けば、「常日頃からいたずらをして迷惑をかけていたごんという名前のきつねが、お詫びにと山の幸を届けに行ったところ、家主にまたいたずらに来たのか、と誤解されて撃たれてしまう」という話です。
「ごんぎつね」は教科書で取り上げられることも多く、中でも以下のような設問を解いた、という方も多いのではないでしょうか。
「ごん、お前だったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。問:このときのごんの気持ちを答えよ。
私が学習した時はたしか4択で選ぶ形で、「やっと(贈り主だって)気付いてくれたね、良かったよ」が正解だった記憶があります。
撃ってしまった兵十に対して「やりすぎである、命を取るまでではあるまいに」といった感想を持つ子どもも多いようで、「もしその後のごんぎつねを書くとしたら?」といった設問に「ごんが女の子に転生して、兵十のお嫁さんになって二人で末永く幸せに暮らす」「実は撃たれた部分はかすった程度で、一人と一匹で仲良く暮らす」といった回答が出ることも少なくないようです。
そう、「ごんぎつね」はごんの目線、ごんの思いを語られるからこそ、どうしても読者はごん寄り、ごん贔屓になるんですよね。
語り口もどこかとぼけた感じで、やっていることがひどくてもなんとなく憎めない。なんなら「兵十なんで気付かないんだよ、撃つなよ、ひどいじゃないか」と何も知らない兵十に対して悪感情を抱くこともある。
ただ、青空文庫の原文を読んでみると、兵十はごんのせいで、
- 先が短い母のために捕まえたウナギを横取りされて食べさせることができなかった
- 魚売りにどろぼうのえん罪を着せられた
と記憶よりも、結構嫌な想いをしているな、と気付かされます。
そりゃ兵十も姿を見たらかっとなって撃ってしまうよなぁ、だって相手はきつねだもの。
ところで、この「ごんぎつね」について、私は「つぐないの物語」であると認識していたのですが、「求愛の物語」と解釈することもあるようです。
その背景として、著者である新美南吉がこの話を書いたのは若冠18歳の頃。
当時の日記には強く恋情を抱いた相手への、伝えられぬ想いが切々と綴られていたそうで。
いつかはごんのように、気付いてもらえたら。
もしかしたらそんな想いが込められていたのかもしれないな、と背景まで知ると、私からは奇想天外に感じた「そうして二人(一人と一匹)は末永く幸せに暮らしました」という未来もあったのかもな、と思ったりしました。
(ライター:まつ)