人と出会うことに運命的なものを感じることがあるように、
本と出合うこともまた、導かれるようなものを感じることがあります。
この間、図書館に立ち寄ったときにふと目に入った本が
「もう一つの平泉 ~奥州藤原氏第二の都市・比爪(ひづめ)~」
という本でした。
比爪という言葉(地名)を知ったのは、もう10年以上前になります。
当時は東日本大震災の復興に、あちこちが模索する日々で、
私は東北3県を文字通り渡り歩いていました。
比爪の文字は岩手県の紫波町のオガール紫波の図書館で
出会ったのが最初でした。
時間をつくってはオガール紫波の図書館で本を手に取り
比爪の歴史について書かれた本を購入した記憶もあります。
当時、ちょうど平泉文化の研究や、周辺地域の発掘が盛んだったことを
思い出しながら読んでみて、改めて気づかされたのが
「歴史」というものでした。
いま私は兵庫県の加西市に関わらせて頂いています。
ここは「播磨風土記」に描かれる土地で、非常に古い
積み重ねてきた歴史があります。
この加西の歴史と、比爪、平泉の歴史を比べながら
歴史というのは、残された文献で決まってくるのだと
気づかされます。
平泉と比爪の違いは、その土地の歴史の長さに由来するのではなく
残されている文献の多さに由来します。
振り返ってみて加西の歴史も、そして京都や奈良、
あるいは東京の歴史などを比べてみて、
その歴史の長さや重みは、残されている文献の量に
影響されているのだろうと思ったのです。
「歴史」というのは、その土地が持つ記録ではなく
人間の生活を通した「文化」の記録であり
そこには「ことば」の蓄積が必要なのだと考えさせられました。
弊社は創業10年に満たない小さな会社です。
だから歴史がないのではなく、
積み重ねてきている「ことば」が足りないのではないだろうか?
そんな風に考えさせられた週末でした。
(担当:TOY_BOX)