システム過多時代

lapis

昨今の世情(Worldly Circumstances)を見ると、システム過多時代だと感じることが多い。

私自身もさんざんシステムを構築してきているし、いまだってアプリケーションを開発する。

だからこその実感として「システム過多」だと感じる。

プラットフォームを構築する。

しかしそのプラットフォームに載ってくるコンテンツが少なく、
プラットフォームが機能しない…なんてことは日常茶飯事だ。

私たちはシステムを構築してラクになることを覚えてしまった。

また、システムを提供することで経済が回る事例を目にしてしまい、
ついついシステムを作りたがってしまう。

たしかに、システムはコンテンツを整理し、使い勝手をよくする。

しかしそれはコンテンツがあって初めて成り立つ図式。本当に大切なのはコンテンツの方だ。

高速道路網を含め、交通網をシステムとして捉えると
日本の地方地域の弱体、過疎が浮き彫りになって見えてくる気がした。

まちや、人の営みの一つひとつをコンテンツとして見たときに
交通網とか流通網というシステムはコンテンツの整理を進めた。

私たちの住む社会で、交通網や流通網というシステムが
コンテンツ(人の営み)を整理する。

整理された結果、社会の営みの小さなところは大きなところに吸収されていく。

「社会」や「まち」ではなく、情報の世界で考えてみれば、
コンテンツの少ない、小さなプラットフォームは不便で、

大きなプラットフォームに統合されていくのは当たり前だ。

そんな情報の社会で当たり前におこる現象が、
単に地方・地域の「まち」で起こっている。

人家の少ない集落を、きれいで広い道路が通っている。

ゴールデンウィーク、そんな地域を車で走り抜けながら
ただ通り過ぎる「まち」の、なんて多いことかと考えてしまった。

システムが不要だという話をしたいのではない。

システムが作り出す世界は、より多くの、多様なコンテンツを必要としている。

そんなことを改めて感じたゴールデンウィークだった。

(担当:TOY_BOX)

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