知命
lapis
土曜日に東日本大震災以来の神戸の友人に電話をしたら、
週明けにまた別の神戸の友人から電話がきました。
友人同士で連絡を取り合っていたわけではなく、まったくの偶然のタイミングとのこと。
ものごとの始まりは、時に偶然の重なりから生まれてくることを経験的に知っていることもあり、
私は兵庫への出張を機会に友に会いにいくことにしました。
お互い昭和47年生まれ、今年50になる年。
コロナを挟んで3年ぶりに会う友は、
元々のリーダー気質に磨きをかけ、大将の風格が備わっています。
人は、良い経験を積み重ねていくことで未来が見えるようになってくると最近感じます。
見える未来は、その人が属する世界の未来であって、
見える未来の広さや長さはその人の力量によるようです。
決して未来の社会なり、世界なり、場面の全てが見えるわけではないけれども、
見える未来の姿が、その人の仕事に関係してきます。
友は福祉の世界に身をおいているので、
彼の目に見えている社会は福祉の視点から見える未来の姿です。
「五十にして天命を知る」
自分のことも合わせて考えると、
未来に対して責任を果たせる力とポジションを備え、
見える未来への備えができるからこその孔子のことばなのかもしれないと改めて感じました。
日本や地域や業界を憂える大将の1人として、
友が仕掛けを生み出そうとしています。
出張帰りの新幹線の車窓から外を眺めながら、私にできることを考える時間を楽しんでいます。
(担当:TOY BOX)